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2007年8月 1日 (水)

今年の『肝苦…』終了

お陰さまで、7/29の『肝苦りさぁ沖縄』は昼150名強、夜110名強の計約270名のお客様にご来場戴きました。ありがとうございました。昼の終演直後には予告なしの“アフタートーク”を開催し、20名程度のお客様に残って戴きました。「初演から何度も観ているが、その度に発見と感動がある」「戦争体験者ですが、冒頭の岡部さんと婚約者のやりとりには、自身の体験と重なるところがあり、思い出してせつなくなった」「戦争反対とかいつも言っていたが、今日聞いて本当に戦争は恐くて嫌なものだと思いを確かなものにできた」などの言葉を戴き、さらに上演の意義を感じることができました。
そして「作品があまりにも切なくてその夜は眠れませんでした」という方が以下のようなメールをくださいました。人それぞれに“沖縄”や“家族”“戦争”に対する「想い」があると思います。

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『“忘却”は、人間の大切な能力のひとつである』と、誰かの評論文にあった。全てを覚えているということは、辛かったこと・悲しかったことを全て、しかも一生背負って生きることになる。そんなことになったら人は、あまりの苦しさに生きてゆけないだろう…そんな内容だった。

壮絶な光景。刻みこまれた悲しみと後悔。自分の心を擦り減らしてゆく記憶。
そんなのを背負って生きてゆくって、どんなだろう。
忘れたいことに限って、忘れられない。何をもってしても、心の中に巣食う闇を追い払うことはできない。自分の中で時間が止まる。
そんな世界で生きてゆくって、どんなだろう。

咲きみだれるハイビスカス。群をなして泳ぐ魚たち。大きなガジュマルの木。
ずっと昔から変わることなく、沖縄にはそんな風景が広がっていたのだ、と錯覚してしまうほどの、健やかな空気。でも本当は、壮絶な風景の後に、ようやくここまでたどり着いたのだ。
恩納の小さな居酒屋で、通りすがりの観光客である私の為に三線を弾いて歌ってくれた、常連客のオジサン。仕事で行った石垣島で、『沖縄に移住してきぃな。あんたみたいな人は歓迎するわ』と言ってくれた、古い民宿のオバアサン。
あの時彼らは、内地の人間である私を、どんな気持ちで受け入れてくれたんだろう。彼らはとても親切だった。そして、優しかった。

他人を思いやることができる『本物の優しさ』は、『強さ』の表れにほかならない。
忘れられない記憶を背負った大地に生きながら、どうして彼らはそんなふうに、強く在ることができるんだろう。自分を擦り減らすほどの壮絶な記憶を背負いながら、どうして、他人に温かい気持ちをあげられるんだろう。

彼らはきっと、未来を見つめることを忘れなかったに違いない。『自分が望む未来』の姿と、それを手に入れる為に『必要なもの』『大切にしなければならないもの』を、見失わずに生きてきたに違いない。
そうやって、ここまでたどり着いたのだろうと思う。私には想像もつかないほど努力を重ね、想像もつかないほど長く険しい時間を乗り越えてきたのだろう、と思う。
それが彼らの中で『強さ』という形になって、根を張り、枝をのばし、沖縄の海や風や大地を満たしているのかもしれない。

過去は変えられない。既に私達の中にある。
未来は見えない。見えないと、その存在に気付かないことが多い。自分につながっているものだということを忘れてしまう。見えないことの不安から、自分の力の及ばないものだと思いこんだりもする。
でも。過去と同じように、未来だって、実は私達の手の中にある『私達のもの』であるはずなのだ。

自分の望む未来は自分で描くものだ、ということを、忘れてはいけないと思った。自分の望む未来を見失うことのない、強い人間になりたいと思った。
記憶を乗り越え、未来に向かって生きてきた、沖縄の人々のように。

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