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2007年6月27日 (水)

沖縄公演報告-4[朝Run+Walk]

沖縄報告の最終回です。
いずれの日も曇っていて動きやすかったです、が…。
◎国場川を渡る「明治橋」の欄干とガジュマルの木。
 欄干のモチーフは首里城でも見られる龍かと。
◎那覇バスターミナルにある「仲島の大石(うふいし)」。
 下方の浸蝕跡が海を埋め立てた土地であることを物語っている。
 なぜ“社”のようになっているかを調べると面白い。
◎「国際通り」にほど近い「波の上ビーチ」。
 近くには「海鳴りの像」があります(写ってませんが)。
◎「波上宮」本土の熊野信仰が渡琉したものらしい。
◎「やちむん(焼物)通り」には「南窯」と呼ばれる
 登り窯があります。その隣に立っていた木。Photo_24Photo_25Photo_29Photo_28Photo_27
【月間100km超を続けて、年間走行距離1,000kmを突破】

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2007年6月25日 (月)

沖縄公演報告-3[交流編]

Photo_23沖縄公演で様々な方々に出逢った。観客・関係者ひとり一人との出逢いに感謝しつつ、数名を書き留めておこうと思います。(実は今回の公演報告はこれが本命)

三線を弾くOさんのおじさんG那覇さんは、18才の時に鹿児島へ向かう船(湖南丸)に乗っていて魚雷攻撃によって沈没させられた、いわば“対馬丸の生き残り”のような方。湖南丸に乗っていた583名の少年・少女・大人のうち、約400名が湖南丸の護衛艦だった船に助けられるが、その船も3時間後に雷撃により撃沈。G那覇さんは板きれにつかまって10時間以上漂流した後に、通りかかった軍艦に救出された。生き残りはわずか5名。その後彼らは、憲兵から「船の沈没のことは他言ならぬ」と睨まれる日々を送る…。沖縄に入った日の夜、G那覇さんのお宅に寄せて戴き、本人とお会いした。体験を語ってくださるG那覇さんのウチナー口(方言)は半分位しか判らなかったが、「今、体験を語っておかなければ」という思いはよく解った。

南風原文化センターのO館長は「ヤマトンチュもウチナンチュも関係ないよ」という言葉で出迎えてくださった。上演前後の温かい挨拶、そして終演後の交流会の楽しい司会ぶり、そして「是非またやりに来てよ」の言葉。京都人の「また来ておくれやす」は“眉つば”ですが、翌日、館長は我々が宿の近くで打ち上げをしていた店に来てくれた。壕一般公開式典後の宴席が終わっていなかったにも関わらずである。沖縄には“いちゃりばちょーでー(一度出逢えば皆兄弟)”という言葉があるそうだ。そんな島人が戦火に巻き込まれた事実を忘れてはならない。

南風原での交流会には、館の職員の皆さん、平和ガイドの方々、2人の女子大生…etc. 多くの方に御参加戴いた。戦争体験者の方も多く、感想だけでなく自身の体験も聞かせて戴いた。驚いたのは、対馬丸の生き残りの方が来られていたこと。本土ではまずあり得ない光景である。宴の終わり頃、館長の指名で女子大生達が感想を語ってくれた。「体験者が語っていくことがもちろん大切だけれども、残された時間は少なくなっていく。今夜、ヤマトの人達がこんな作品をやり続けていたことを知って、私たち若い世代にも戦争体験を語り継ぐことが出来るのではないかと感じ、勇気を与えてもらった」と。

くすぬち平和文化館のM夫妻は嘉手納基地に接収されている土地所有者で、その補償金で“児童文化館”を造られた。館内にある図書館には児童図書はもちろん、戦争に関する書物も多い。イベントスペースでは紙芝居やコンサートが定期的に行われている。館がオープンしたのは1998年、奇しくも『肝苦りさ沖縄』が始まった年でもある。交流会での奥様であるE子さんの言葉「初めは悲しみの涙で観ていたが、松代のシーンでは悔しい涙、憤りの涙になった」という言葉が忘れられない。

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2007年6月22日 (金)

沖縄公演報告-2[本番編]

Photo_226/16(土)
[朝] 会場となる「南風原文化センター」に着くと、館長さんらの案内で陸軍病院壕跡へ。実は壕の内部が18日から一般公開されることになっており、我々の公演をその“プレ・プレイベント”に位置付けて戴いていたのです。翌日の公開式典の前に、京都のメンバーが内部に入らせていただいた。皆で、傷病兵やひめゆり学徒達の息づかいに思いをはせる。それから仕込みに取り掛かった。
[夜] 開場すると次々とお客さんが来てくださった。定員100名程度で開演5分前にはほぼ満員状態。パイプ椅子も数が足りなくなる(開演してからもお客さんが増え、最終的には会場の扉を開けて、廊下で立ち見の方々に聞いて戴いた)。沖縄での初ステージ。一つ一つの地名や人名に頷かれる方が多く、現地で上演していることを実感する。そして「沖縄は…」とか「沖縄の…」といった言葉を発する時は特に緊張した。しかし、ヤマトンチュ(本土)の我々の舞台をじっと身動きもせず聞いて戴いている観客の空気に“共有・共鳴”を感じ、セリフを観客に委ねるように発することができた。
 終演あいさつの時に館長さんが「沖縄で上演することにとても緊張されていたと聞いています。でも、(観客の)皆さん、京都から来てくれた彼らの思いは伝わりましたよね」と言ってくださり、140名を超える観客席からも温かい拍手が起こり、涙が溢れた。

6/17(日)
[午前] 朝から曇っていたが、昼前には激しい雨が降り出す。会場である「くすぬち平和文化館」は定員50名程度の小さな空間。仕込みは楽だったが、天井の高いこの空間で声を通すコツを得るのに多少時間を要した。
[本番] キャパの関係で完全予約制としていた上に、悪天候の影響で動員は50名を割ったが、あの雨の中集まって戴いた方々には、本当に感謝である。通称“2部”と呼んでいる「松代大本営」シーンで市民が軍の行動を揶揄って話すところでは、会場から笑い声も聞かれホッとすると共に沖縄の方々にとってやはり身近な問題であることを実感させられた。

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2007年6月19日 (火)

沖縄公演報告-1[速報]

現地の新聞に記事が載りました。(下のリンクをクリック)
沖縄タイムス
(紙面では写真付きでしたが、Web版にはナシ)

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2007年6月14日 (木)

明日から沖縄

昨日は、S小学校体育館で『そうべえ…』を2ステージ。終演の頃には皆、サウナから上がったかのような汗。が、今学期の学校公演はこれで終わりでしたので、ひと段落。
そして、明日からは沖縄です。以前に告知したように『ふたつの壕(肝苦りさぁ沖縄)』の公演です。昨日には道具と三線奏者が沖縄入りしており、明日はメンバーも揃って16日の会場となる“南風原文化センター”で通し稽古。そこはかつて陸軍病院壕があった地域。昭和20年5月、米軍が間近に迫り、移動をよぎなくされる状況となるが、移転先の収容能力のこともあり、独歩不能の2000名余りの患者達が自決(と呼ばれながら、自ら死を選んだとは限らない。食物に青酸カリを混ぜられたり、銃剣で始末された者達も多い)した所である。
現地で本土の人間である我々が沖縄戦を語る…。語り手メンバーの一人で、沖縄が大好きなTさんがある稽古の時に「来られるお客さんは、いわば遺族の方々なんですよ」と言ったことがある。いかなる時も慰霊の気持ちを忘れてはいけないと思いつつ、16日・17日の本番に向き合ってきます。

追記:宿は那覇。やはり朝は付近をジョギングの予定です。

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2007年6月12日 (火)

花巻の朝(Run)

◎北上川の土手道(賢治が名付けた「イギリス海岸」近く)
◎花巻南大橋の欄干のモチーフは「鹿踊り」
◎「羅須地人協会」の跡地にあった案内板
Photo_16Photo_17Photo_19

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2007年6月10日 (日)

初めての花巻

Photo_20さて、行ってきました宮沢賢治の街。大阪空港から1時間15分、あっという間に緑広がる花巻に着陸。昼食に名物の一つである蕎麦を戴き、市民会館へ。いつもの体育館に比べれば仕込みは随分楽でした。宿に着き夕食を戴く、当然皆で乾杯グビグビ。部屋でもグビグビ、明日に備える。
朝10時と昼13時半の2ステージ2日間、計4ステージ。本番では各ステージ600-800名位(収容人数1,100名)だったかと。花巻市内全28小学校の低学年に観て戴きました。花巻の子ども達が京都の子ども達以上に元気で、舞台へのツッコミも大きかったことには少し驚かされました。
北上川土手の朝ランは気持ち良く楽しめました。が、秘かに楽しみにしていた星降る夜空は、終始曇っていたので見られませんでした。残念! (写真はホール入口横にあった宮沢賢治の画)

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2007年6月 6日 (水)

6月は北へ南へ

『ふたつの壕(肝苦りさぁ 沖縄)』の稽古も来週末に迫った沖縄公演に向けて加熱中…ですが、私は今朝の飛行機で岩手県花巻市へ。明日・明後日と劇団K芸の『そうべえまっくろけのけ』の小学校団体鑑賞公演4ステージです。芝居演って、美味しいモノを食べて、(酒を飲んで)、朝にはジョギングも楽しんでこようと思っています。

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2007年6月 4日 (月)

惨敗レース…

6月3日(日)は「宝ヶ池チャリティファンラン」に参加してきました。朝から久しぶりに叡電に乗って宝ヶ池へ。曇天のマラソン日和。駅を降りると大会スタッフが本部への道を説明してくれた。本部へ着く。多くのランナーが準備している。1000人規模の大会だったが、「今年は申し込み者が多く1400名位になるかも」と大会スタッフの弁。受付を済ませたところで、ハムコさんと遭遇。前日に用意したテーピングを左足底と両膝に施す。5月初めまではこのレースで初の4時間切りを目指すとしていたのだが、連日の本番による練習不足と仕込み・バラシでの蓄積疲労に加え、前週の青山高原の筋肉疲労で身体が重く、さらに左足が故障気味…で、「4時間半目標でゆっくり走ろう。明日の昼も稽古だし」と弱気な構えでスタートラインに立つ。10時号砲。3kmのコースを14周…途中にキツイ坂があり、下りの時は堪えた。前半は1周19-20分のペースで、「こんな感じで最後までいければいいけど…」と思っていたが、やはりそうもいかなかった。半分を越えて、本来ならばペースアップするところだが、上がらない。補食は摂っているのに、30km辺りから脚がドンドン重くなってゆく。33km-36kmのラップは25分まで落ち込んだ。ついに歩いてしまう。ラスト1周は踏ん張って走り、ラップは20分40秒。4時間46分36秒でようやくゴール。
水風呂と冷湿布のお陰で、筋肉痛は軽く済み、明けて月曜日の稽古にも支障なし。ケアの点ではランナーとして成長したかなっと。

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